海の上のピアニスト
記念すべき最初の記事は一番好きな映画について書こうと思います。
海の上のピアニストについて
イタリア完全版を見たのですが、ニュー・シネマ・パラダイスと違って話の流れは大体一緒みたいですね!
通常版は125分なのに対し、
イタリア完全版は170分と、45分差があるようです。
違いは以下の部分、
・冒頭、豪華客船の甲板にいる人々が自由の女神を見つけて歓喜に沸くシーン
完全版では、この一連の流れが長くなり、様々な思いを胸に新天地へやってきた人々の感情の昂ぶりがより切実に伝わってくる。
・1900の赤ん坊や少年時代
育ての親ダニーが子守唄を歌い、ほかの機関員も一緒に歌いだすミュージカル風の場面や、ドイツ人医師の名前があまり長すぎるため1900が「読んでいる間に死んじゃうね」と驚く場面。
ちなみに、ダニーが事故に遭った際に、機関員の1人がドイツ人医師を呼びに行く場面で、長過ぎて名前が言えないという1900の言葉が本当になってしまうのだが、この怪我が原因でダニーは死んでしまうので笑っていいのかわからない、なんともブラックなユーモア。
さらに、キッチンでケーキを盗んだ1900が船長に見つかり、彼の顔にケーキを投げつけて逃げるシーンなども。
・1900とマックスの出会いのシーン
激しく揺れる深夜の船のパーティールームで、1900とこの映画の語り部、マックスがピアノに二人乗りしダンスするという最高にロマンチックなシーン。
これも通常版より長く、2人の友情のはじまりがじっくりと描かれている。
・突然自由な演奏をはじめてしまう1900に、バンドリーダーが「頼むから普通に弾いてくれよ」と釘を指すシーンが2回
通常版が1回だけなのに対し完全版では2回。バンドリーダーの苦労と1900のジャズに精通した天才的ピアノ技術がユーモラスに描かれている。
このように通常版と完全版を見た後ではストーリーの説得力が変わってくるので、時間が許す方はイタリア完全版を見るのをおすすめします!
エンニオ・モリコーネ大好きなのに最近まで見たことがなく、ティム・ロスが気になり始めて鑑賞しました。
そして見てなかったことを激しく後悔…
だってなんかタイトルが惹かれなかった。。
でも見た後では英題「The Legend Of 1990」よりも、
「海の上のピアニスト」が断然いい!と思ってます。
そしてこの作品でティム・ロスが大好きになりました。
さてここからはネタバレ注意!
この映画の見所は大きく3つ。
ひとつは先程も紹介したマックスとの出会いのシーン。
ティム・ロスの登場シーンから俄然面白くなってきます。
大の男二人がピアノに二人乗りしてダンスするひっじょーにロマンチックなシーンです!
ただこれかなり不自然なシーンでもあるので、それについては後ほど詳しく書きますね。
2つめは、ジャズの産みの親であるジェリーとのピアノ対決シーン。
言わずもがな名場面ですが、ここが何度見てもわからなかった!
1900は勝負に全く興味がなく、わざと手を抜いてブーイング喰らい、ジェリーのピアノに涙するほど感動している様子だったのに、ジェリーが3曲目を弾き出した途端、顔色を変えてやる気スイッチが入ります。
「チビるなよ」
と言われたからなのか、
いや彼はそんな挑発に乗るタイプじゃないと思う。
ただピアノの技術をひけらかすような演奏を、音楽への冒涜だと感じ憤慨したのか、
それも違うと思う。
なぜならさすがはモリコーネ、それも美しい曲だったから。
観客が思わず踊りたくなるほど楽しんで聴いていたから、
わたしはこれが理由だと思ってます。
物心ついた頃から船上ピアニストとして乗客を楽しませてきた彼にとって、初めてプライドが揺さぶられた瞬間だったのでは?
それを目の当たりにした直後、マックスにタバコを要求し、あの名場面に繋がるんです。
(見た人により解釈はそれぞれですが)
ちなみにピアノの弦で発火することは現実ではあり得ないみたいですが…それを差引いても素晴らしいシーンです。
シャンパングラスを落とすジェリー、葉巻や鬘が落ちても気づかないシーン、靴の上に落ちる灰、、あのへんの描写全てが最高ですね。
そして3つめ、愛を奏でて(playing love)を弾くシーンです。
1900がレコードの収録中に一目惚れをしてその瞬間に名曲が生まれます。
これまたロマンチック。以上。
エンリオ・モリコーネの作る音楽の美しさが存分に活かされた映画で、サントラを聴きながら情景を思い浮かべるだけで、泣けます!
モリコーネなしでは音楽の天才の映画なんて作れないでしょう。
その架空の天才をうわまらなきゃいけないんですから。
さて話を戻しますがこの映画、音楽は素晴らしいけどストーリーは疑問が残る、突っ込みどころがある、なんて言われたりしてます。
一番はなぜ主人公は船に残る必要があったのか、なにも死ぬことないんじゃね?ってとこですね。
わたしも正直思いました。
外の世界が怖いなら、もう別の船移っちゃえばいいじゃん!
そのピアノの才能あればどこでも歓迎されるよ!っていう…
まぁそんなこと言い出したら元も子もないんですが、
1900は天才で1を見たら10分かってしまうような人として描かれているので、全部考えた上で、自分にとって生まれ育った船と共に人生を終えることを選択したんでしょう。
側で見てきたマックスにもそれが理解できてしまったと。
そう思わないと話が成り立ちません。笑
天才って生きづらいですね…
そしてこの映画突っ込みどころは色々現実的にあり得ないことが起こる点です。
先程書いたピアノの弦で発火することもそうですし、
使われなくなって何年も経った船に1900がいて、髭も髪ものびず身綺麗な状態で出て来たときは思わず声出ちゃいました。笑
そしてマックスと出会いのシーンでのピアノダンス。
まるでピアノと椅子がくっついたかのように同じ動きをします。
そして廊下を進んでからは散らばってる靴が物理的にあり得ない動きをしながら避けていくんです。
これ、話はほぼマックスの語る回想で進んで行くので、初めは彼が嘘つきなのかと思いました。
が、実際にレコードはでてきてるわけですし必死に1900を探す様子からしても嘘だとは考えにくいですね。
なのですが、このマックスという男、異様に話が上手いんです。
1900の幼少期の話なんか、聞いた話にしか過ぎないはずなのに、
「知らぬ間に血に染み渡るような調べだ」
「まさにそう言ったんだ」
とかまるでそこにいたかのように話します。
思うにマックスは話に盛り癖があるんだと思います。
わたしたちが見た映像もマックスの回想でしかないので、現実そのままではなく、ちょっと盛ってる状態だとして見ると辻褄が合います。
船で1900に再会するあの場面も、マックス目線では彼の知ってる1900のままの姿ということなんだと思います。
そしてマックスはこれから彼の中での美化された1900 について語り継いでいくんでしょう。
これを読んで少しでもすっきりされた方がいらっしゃったらうれしいです。
海の上のピアニストはモリコーネの音楽だけでなく、ストーリーを含めて全体が調和して美しく、「これぞ映画」と思える作品です。
また見る人によって捉え方が違ったり、見るたびに新しい発見があったりする映画でもあります。
皆様の違った見方などもありましたらコメントいただけるとうれしいです。
最後まで読んでくださってありがとうございます!